基地ログ!

旅するカッパのチャノマハウス。時々開店、河童バー。

無法の花火

このタイトルで、文章をまとめてみたいと思ってから4日が経つ。その間に、すでに世の中は、次の幕にコマを進めてしまって、書こうとした手が、キーボードの上で彷徨う。

イベントが起こってからすぐに発信しないと、言葉自体の鮮度が落ちる。記録するためのブログなら尚更。書こう、とにかく。

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’Hana bi everywhere' と、私のカエルメールに、旦那がレスしてきた。

「え?もう11時近くなのに?」

アメリカの独立記念日。それぞれのコミュニティで行われるお祝いの花火が終わった後も、ロサンゼルスのあちこちで、花火は上がり続けた。あれだけ事前に、警察や消防署の警告があったのに、違法な花火は、年々、その規模が大きくなっているような気がする。花火が上がっている地域から想像すると、打ち上げている輩の多くは、メキシコ系をはじめとするヒスパニックのコミュニティである可能性が高い。

国境を渡り、不法滞在して、ここで市民権を得た移民たち。彼らが上げる花火は、確かに、アメリカの国の誕生日を祝うには相応しいのかも知れない。

でも、今年のその違法の花火達は、一部のこの街の住人たちに、別のことを想像させた。

' It's a war.'

カエルメールにレスした本人は、手放しで花火を楽しんでいるわけではなかったのが、帰ってからの一言で察せられた。

バングラディッシュ、ダッカと続いたテロが、独立記念日もターゲットにしていたら。独立記念日を前に、それを懸念していたのは、私だけではないだろう。それでも、そういう心配をすること自体が、テロリスト達の思う壺なのだとわかっているから、どこかで、みんなその思いを隠そうとする。

真夜中まで続く花火は、「これがもし戦争だったら」という思考に誘導させるには、十分なインパクトを持っていた。

そう思ってしまった自分に、私は「チッ」と舌を打つ。本当の敵は、自分の頭の中にいる。情報に踊らされ、状況に反応し、感情で動く。

無意味な行動を起こさないためにも、自分の体と頭の整理を、こんな時だからこそしてみる。ダラスの白人警官を殺した犯人のようにね。あれは、極端な話だろうって?いや、私はそうは考えないんだな。現象が小さくても大きくても、種を見つけるところから、始めないと、ホントの平和はやってこない。

 そんなことを考え始めた独立記念日の夜。

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初めて出会った「自分の足に合う靴」

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 今日、ロサンゼルスに戻ってきてから、初めて日本のBase Worksさんで作った靴を履いた。実は、日本で最初に履いた時、履き方が悪かったのか、踵に靴擦れが出来てしまい、履くのがちょっと怖かった。でも、今日、午前中に仕事のミーティングが入ってて、思い切って履いてみたら、足にすごくフィットして全然痛くなくて、普通に歩けた。

 これ、私にとっては、全然普通じゃないことなんです。これまで、ずっと靴には泣かされて来たから。

  足に合う靴がないせいで、買えなかった服、行けなかった場所、出来なかった仕事。足が痛くなることを選ばなかったことを後悔はしていないけど、そのおかげで、選択肢が狭まったのは確か。

  たかが靴、されど靴。人生の見方が、こんだけのことで、かなり変わった今日。勝見さん、麻子さん、ありがとう!

基地作家になることにしました。

「やらない」を決めた@第一日目

 一番大きな決断は、「フードビジネスをやらない」。トラックを売ることにしました。と言っても、すっぱり辞めることが出来る状態ではないので、このビジネスに関しては、人を雇いました。まだトレーニングの段階ですが、なるべく、自分ではやらない。詳しくは、また書きますが、とにかく2月まではやらない。

 そして、書くことと描くこと。実は、今週の木曜日、あるフリーペーパーに載せる記事と漫画の締め切りというのがあります。これは、半分無理やりにお願いして、スペースをいただきました。「行き詰ったら、前へピョン!」と言ってたのは、今日がお誕生日の、昔の仕事のマネージャーだったタイガーさんです。はい、その教え通り、前へピョンです。(タイガーさん、お誕生日おめでとう!)

  最後に、イメージをシンプルに固める。自分の中での方向性を整えるための言葉。

 このところ、自分の頭は、朝が一番、調子が良いことがわかって、一日3回朝になる15分睡眠というのをしています。朝5時に起きて、一通り、仕事を終えた後に、15分ほど休憩。目覚めると再び、気分は朝!今日は、その2回目の朝を迎えた頭で、FBつながりの藤井さんのポストを読む。書家の藤井さんが最近始められた「脱皮研究所」ブログというのを見ながら、「あ、これだ!」とインスピレーションをいただき、思いついたのが、基地作家。(藤井さん、ありがとうございました!)

 

 私は、基地を作る人になろう。そう、イメージできたのでした。その基地の第一号がチャノマハウス。

 「チャノマハウス」という場を作ったことで、土台が見えてきたこともあって、そのチャノマハウスとは何か?を考えた時に、それは基地だということには随分前から気づいていたのだけど、それを作ることをどう表現するかが課題でした。ソーシャルデザインラボとか何とか言いながら、「んー、違うなあ」と。基地作家という言葉が、今日の二回目の朝でやってきて、すぐに記録しておこうと、こうしてキーボードを打ってる次第です。

 私は、基地の町、山口県の岩国というところで生まれて、18歳までそこで育ちました。基地は、うちの前の漁港の堤防から見えました。海や山、川と同じように、物心ついた時からそこにあった存在です。中学生くらいから、いろんな形で出入りするようになって、基地反対する人たちがいることも知りました。政治的なことは抜きにして、私は、基地の存在自体は好きだったのです。そこは、ひとつの世界の窓だったからです。

 基地の兵隊を相手に、片言の英語を話し始め、同時に、サヨクな人たちに囲まれ、いろんな情報を得て、反戦少女時代を過ごし、それでも、基地があることは、今考えれば、自分にとっては、すごく大きなことだったと思います。

 「岩国に、(兵隊ばかりじゃなくて)もっと普通のアメリカ人がいればいいのに」と思っていた子供の私は、今、普通のアメリカ人がいっぱいいるロサンゼルスで暮らしています。

 小さい頃、一人歩きするのが好きだった私は、裏山や海岸のいろんなところを自分の基地にしてました。お気に入りのスポットを決めて、そこへ行くと、何だか安心するのです。誰に言うでもなく、自分だけで決めていた秘密スポットのいくつかも、ここ最近の岩国基地拡張に伴う大開発で、なくなってしまいましたが、新しい基地を作る術を、故郷を離れて身につけた私には、むしろ、その変化を、はじめはカルチャーショック的な衝撃を感じたものの、時代の流れとして受け入れ、そこから自分が出来ることを考えるきっかけとして、向き合おうと思えるようになりつつあります。

 チャノマハウスを作ったきっかけは、東北の震災でした。日本からの避難者を受け入れるために、友達のコンドミニアムを借りたのです。チャノマハウスは、その約一年後、Airbnbというサイトを使ってのルームレンタルを始めて、紆余曲折を得てから見つけた物件でした。

 本来、どちらかというと、放浪癖があり、移動民族系の自分にとって、宿屋をするというのは、何だか違うかもと思っていましたが、これが意外と楽しくて、なんちゃっての女将業が、結構、性に合っていたのです。自分が世界を旅するのではなく、世界が自分のところにやってくる。この楽しさは、ホストをやった人なら、誰もが経験するでしょう。 

 

 基地。 その言葉には、戦争という背景がついてくることが多いです。でも、私は、戦争するためではなく、戦争をしなくてもよい世界を作るための基地を沢山作りたいと思ってます。平和という言葉を安易に使うのは嫌いなので、あえて平和基地とは呼びません。しいて言えば、小さな戦争も受け入れられるような、日常的な平和のある基地です。日常という平和の中で、戦争を許す場と言ってもいいかもしれません。

 私が、このAirbnbとして運営しているチャノマハウスの女将が向いていたのは、決して、日本的なおもてなしが出来るからではありません。むしろ、これまで住んだメキシコとアメリカ、そして旅したいくつかの国、また関わってきたいろんな人たちとの関係を通じて、沢山失敗したり、喧嘩をしたり、そういうことを受け入れることをよしとする自分が出来ていたからだと思います。

 基地作家という言葉を、何となくむずがゆい気持ちもありながら、一旦、発信します。書くことの覚悟を、毎日、繰り返しながら、自分と向き合う。私の書くためのリハビリ。お付き合いいただけるとうれしいです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  

 

 

反対しない。私の「賛成」を作る。

やだ!@口癖

 

 ロングセラーの絵本で「いやだいやだ」の本というのがあった。現状に満足できない、もしくは、どうしても我慢が出来ない状態になると「やだ!」とか「やだ、もー!」とか、口に出る。

ちょっと前までは、反対するのがクセであった私が、それを止めたのには理由がある。

 

 「反対」って、思ったら、その代わりになるものを自分で作っていくという姿勢がなければ、結局、ただの「やだ!」じゃないの?

 

 そう思って、自分の中で「やだ!」が発生したら、そのベクトルを、何かを作る方向へ修正するというクセをつけ始めてるところです。

 

 基地の町で生まれ育った私には、安保もアメリカも、ある意味、長いお付き合い。

アメリカには、もう23年。実際住んでみて、「アメリカ」という言葉を、アメリカを知らずに使うことによる危険性や、そのマイナスな部分も、十分、アメリカ人の家族を通じて知った。「アメリカ」だけではなく、国の名前を使う時って、ちょっと考えてみるといい。日本政府を「日本」って言われることを考えると、それ、よくわかると思う。多くの人が「国」を司る機関をその国の名前で呼ぶ。家の中に、「国」が二つ以上ある家庭が沢山あるアメリカにいると、家庭の中で、国を巡っての戦争なんて珍しくない。

 

 やっぱり、そろそろ、人類は、国家の幻想から解放されていいと思う。戦争が起こる一番の原因は、国があるからだもの。国家によって、支えられてるものを補う仕組み、今なら作れると思う。自分の住む世界、ボーダレスに、リミットなしに、想像してみる。自分の心がYES!と言える世界を描いてみる。いつになるかわからないけど、いつか来る。思い続ければ。

 

 そんな思考の体操を、日々、やってるこのごろです。

 

 

 

 

浦島かっぱ、日本を行く18日間(1)緑のパッション 前編

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ガーデニングで一息@日曜日

  早いもので、日本から戻ってから一週間。

この間にしてたこと。

トラック営業3日間(真夜中2時までのゲームバー含む) トラビスのトラックを手伝う。

娘の大学の卒業式。長女は卒業式に出なかったので、大学の卒業式は初めて!わいわい。

デリバリー、新しいスタッフのトレーニング。これがあるんで、朝はいつも通り早い。

もちろん、チャノマハウスの女将業。相変わらず、満室。

と、ずっと忙しくて、動きっぱなし。「お!やっぱ、羽田便、夜中発だけあって、時差ぼけないじゃん!」と、調子に乗ってたら、木曜日あたりから変。「あれ?クラクラする。。。。」時差ぼけは、今回、仕掛けられた爆弾であった。突然、体の中で炸裂。その衝撃が、体内時計を無理やり日本時間に戻し、体の中が日本にワープする。抵抗むなしく、撃沈。

土曜日から三連休でよかった。羽田便時差ぼけ、素直に降伏して、しっかり寝ました、ハイ。

 

 まだ時差ぼけが残ってそうな体を引きずりながら、今日は一日、ガーデニング。

荒れ放題でも、ネギやトマトは元気で、今日はトマトでパスタ作った。旨し。

以前、日本によく行ってた時、住んでたアパートの通路に作ってたハーブガーデンを何度も枯らされた経験から、あまり期待はしていなかった。>お留守番のダー。が、このチャノマハウスに越してきてから、一緒にガーデニングをしてきたおかげか、思ったほど、悲惨なことにはなってなくて、安心。まあ、草ぼうぼうくらいはいいや。

 何と言っても、一番嬉しかったのは、パッションフルーツの豊作ぶり。去年までフェンスを占領していた、食べられない、実の小さいのが、夏の真っ盛りに枯れて、後から植えたちゃんと食べられる実のつく種類の方が、ぐんぐん広がって、私の留守の間に、すごい数の実がついてる。去年は、確か、3つくらいしか実らなくて、それも、食べ方とかタイミングがわからずに、2つは、そのままコンポースト行きになったような。

 他にも、かぼちゃ&その仲間(ひょうたんとか、種類のわからない瓜とか)が、おそらく、捨てた種から発芽して、日本に行く前には影も形もなかったのに、帰ってきたら、なんと、ほとんど食べられるサイズにまで成長している。ホントに、18日しか行ってなかったのか、ぢぶん?

 18日。

 実は、その18日の経験を、まだ消化しきれずにいる。

 この旅で、自分の中の時間の概念は、天地がひっくり返るくらい、変わった。ほぼ毎日のように、20年ぶりとか、四半世紀ぶりとか言う人たちと会ってると、ちょっと人生考えちゃうよ、マジ。

 この感覚は、去年だったか、メキシコの延長家族のひとりが会いにきてくれた時にも味わった。18年前、少年だったククイ、うちの娘のお守りをよくしてくれてた、かっこいい少年が、すっかりおじさんになってる!というショック。ここまで年を取る過程を見逃してしまって残念!という、まるで母親のような感情を、自分の中に見つけて、びっくりした。時の流れを目の当たりにすると、こういう気持ちになるのか。

 それが、18日間の間に、何十回もあったわけで、ショックを通り越して、未知との遭遇レベルともなると、人生の見方も自ずと変わる。

 隣のおばちゃんとおじちゃん、大阪にいた頃に、お世話になった先生など、亡くなっていた人が沢山いた。それは想像できていたのに、いざ、その事実を確かめると、自分の心のどこかで、それを認める前に、ワンクッションおいて、感じないようにする場所を作ってる。人の死を、どう認識するか、そこにどんな意味を持たせるのかも、自分次第なのだとわかっていても、今は、その答えが出せない。

 今回、一番、私がショックだったのは、おそらく、故郷の岩国の変化だと思う。米軍基地の拡張で、ある友人の話によると、施設が完成して、米軍やその家族が岩国に移住してくると、岩国市の人口の10人にひとりは、アメリカ人になると言う。市内の道路も、景色も随分変わって、過去に戻ろうにも、戻れないということを、嫌というほど、見せつけられた。

 その友人と、毎年恒例の基地開放日の前夜、交通規制を始めた基地のゲートに繋がるフォーコーナーの前の飲み屋で、その様子を見ながら、うそぶいた。

 「もう、ここを国際通りにするしかないんじゃないの?」

まんざら、冗談でもない。

 

 人の死、時の流れ、そして、いくつもの過去に向き合う度に発見する、自分自身の変化。

 それらひとつひとつが、あるメッセージとなって、心を覆いはじめる。そこに耳を傾ける前に、もっと足場を固めよう。一端、心を開くと、まるで、それは鉄砲水のように、なだれ込んでくるに違いない。BE READY....

 

 もう戻ってきて、一週間になるのに、私は、まだ準備できてない。

だから、こうして、書いてるのかも知れない。自分の中のパラダイムシフトと、日本滞在中に集めたエネルギーを受け止めるために。

 

                                         後編につづく。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

BEFORE/AFTER 秘密の花園

大人の基地つくり@裏庭

 チャノマハウスの面白さは、どんどん手を加えて、変えていけるところにある。Backyardと呼んで、勝手に畑を作ってるこの場所は、実は、鉄塔の立ってる下で、使っていいのかどうか「?」なグレーゾーン。そこに本格的に、憩いの場を作ろうと、この間から、掃除を始めたり、材料を買ってきたり。写真手前の樹は、ボトルブラシと呼ばれる樹。

Callistemon - Wikipedia, the free encyclopedia

ここのところ、急に暑くなったので、この木陰がちょうどよい休憩場所になる。

 さて、これから、どんな風にするかな。

 

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根っこ。

根無し草だと思っていたのに、いつの間にか、根っこがある。

どこにでも行ける自由があることは、実は根っこがあるからだからじゃないだろうかという仮説を立ててみた。

根っこがあるから、どこに行っても、何があっても、自分という人生の花を咲かせることが出来る。

そんなことを、毎日、ガーデニングしながら、考えるロサンゼルスの日々。