基地ログ!

旅するカッパのチャノマハウス。時々開店、河童バー。

空が落ちる 〜 ドラマへようこそ!

アメリカの新しい大統領、トランプ氏への抗議デモが各地で起こっている。

先週の日曜日のロサンゼルスのダウンタウンでのデモも凄かった。

でも、私は行かなかった。いや、行けなかった。

 

f:id:Chanomahouse:20170123145210j:image

(Smoky Hallowのフォトスタジオの壁) 

 

行かなかった。やることがあったから。

いや、正確には、やることがなくても、行けなかった。

それは、100%、あの日を思い出してしまうトリガーになるからだ。

 

f:id:Chanomahouse:20170127074243j:image 

(1985年5月1日から6月4日に日本に戻るまでをメモしたノート) 

 

 

1985年5月1日。

メーデーのデモ隊が、私とパトが住んでいたアパートの横、

新聞街のBucareli 通りを行進していた。

Morelos 通りとBucareli 通りの角にあるアパートの入り口で、

私に追い出されたパトは、自分の荷物を持って、タクシーを待っていた。

 

事件は、その場から始まった。

f:id:Chanomahouse:20170127074330j:image

(マンハッタンビーチの桟橋) 

 

ブログを始めるために。

新しいビジネスを始めるために。

ウエブサイトを作るために。

自分史のアドバイザーになったから。

プロフィールが必要だから。

 

私が、自分史を書かなければならない理由はいくつもある。

 

それなのに、書けなかった理由は、この1985年5月1日。

 

それは、思い出すのが辛い作業で。

 

 せっかく、日本を出るまでを一挙に今日書けたのに、

ここで、もう一時間も止まってる。

 

f:id:Chanomahouse:20170127074457j:image

(フリーウエイ110と105のジャンクション@ロサンゼルス) 

 

 事実だけを述べるなら、

このデモに巻き込まれて、パトは逮捕されてしまった。

当時、パトの生まれた国チリは、ピノチェットの独裁軍事政権で、

美術の教師の父のいるパトの一家は、メキシコに亡命した。

不当逮捕されたパトの身柄は、留置所に拘束された。

 その同じ留置所に、そのあと、私も入ることになる。

テポストランという、シティから一時間ほどの村で、

全く違う事件に巻き込まれ、パスポート不所持ということで、留置所に入れられた。

そして、同じ場所で捕まった知人に、パトが同じ場所にいることを聞かされた。

 

結果、私は、日本大使館に助けを求めに行った知人に助けられ、

3日で留置所を出る。

 

パトは、カナダへ難民として、国外追放されたと聞く。

 もう30年以上も前のこと。

それっきり会ってない。

 

f:id:Chanomahouse:20170123145043j:image

 

どこだか忘れた、この写真。

私が、テポストランで私服警官に、パスポート不携帯で捕まり、

そのテポストランから、近くの大きな町、クエルナバカに移され、

そのあと、メキシコシティに、パトカーで向かっている時の空に似てる。

 

空が落ちるなんて、誰も考えない。

全く予期せぬことが起きる。

天から不幸が落ちてくる。

 

空が落ち、

突然、立っていた地面が揺れ、

天地がひっくり返り、

何もかもが信じられなくなる。

 

 それまで、毎日、挨拶していた近所のポリス、

近くの新聞社で働いているセキュリティガード、

制服を着た人たちが、みんな敵に見え始める。

 

 パトが逮捕されて、その居場所を探している時に、

私は同じ言葉を、スペイン語で、何十回と繰り返した。

 おかげで、その後、久しぶりに会った友達に、

スペイン語、うまくなったね、と言われる。

 

必要があれば、コミュニケーション能力は磨かれる。

冷静に状況を説明しようと試みるが、

途中から感情が抑えきれなくなって、

終いには、相手に怒鳴っているなんてことも多々あった。

 

まるでお芝居のようなシチュエーションの中で、

私は、見事に昼メロの女優だった。

あんだけの感情を込めて、しゃべり続けたことは、

後にも先にも、あの時しかない。

f:id:Chanomahouse:20170123145349j:image

( Smoky Hallowの壁)

 

一旦、探すのをパトの家族に任せ、自分の生活に戻ろうとした。

ちょうど、テポストランという村で、まりこさんが出産したところだった。

手伝いに行くために、私はシティを離れる。

 

f:id:Chanomahouse:20170123145530j:image

(ティファナ近くの魚市場) 

 

日曜日、テポストランの町の中心に立つ市場は、観光客や地元の人たちで賑わう。

 

テポストランには、多くの外国人が住んでいて、

その中には、この中心地で、レストランなどのビジネスをしている人もいる。

 

CAFE LUNAもそのひとつで、

スイス人の女性が経営している、外国人の居住者たちに人気のカフェだ。

 

その日、まりこさんに頼まれた買い物の途中で、

私は、LUNAで昼食を取る。

 

食事を終えて、コーヒーを飲んでいる時、

にわかに入り口付近が騒々しくなった。

 

人混みを抜けて、

ひとりの小太りのメキシコ人の男が、こちらに歩いてくる。

 

「Pasaporte, por favor. パスポートを見せてください」

は? 持ってきてないよ、買い物だけなのに。

「では、こちらに」

男は、私の他、周りにいた外国人たちを、表に停めてあるバンへと連行した。

 

多くの友達が同じ時に捕まり、何人かは、実際、自分の国へ送られた。

あとでわかったことだが、

この事件は、CAFEのオーナーとローカルの実力者の間での諍いが元で

テポストランにいる外国人を占めだそうとしたその男が、

クエルナバカの警察に、

不法滞在の外国人がいると通報して起こったことだったらしい。

 

空が落ちて、

私の世界は、怖いものだらけになった。

 

留置所の部屋、一晩中つきっぱなしの裸電球の下で、

Welcome to Mexico、これからがお楽しみ、と誰かがつぶやいた気がした。