「怖いもの、なくなるわよ」と姐さんは止めた。〜脱出先はメキシコ〜
「若い娘がメキシコなんて行っちゃうの、どうかしらね。」
と、クレちゃんが、ボブの黒髪の間から、クリクリとした目を光らせて言う。
私は、まずメキシコに行くと決めた。
そして、メキシコに住んでいた、母の友人のクレちゃんのとこに、相談に行った。
じゃ、何でクレちゃん、行ったのよ?
「私は知らなかったからよ。」
岩国基地の近くで育ったクレちゃんは、英語も得意で、確か化粧品会社の仕事で、
世界中を回っていた。
何を思ったか、メキシコのタスコに行くと決めて、何年かそこに住んだ。
「家に帰ったらね、死体が転がってるの。びっくりしちゃうわよね!」
クレちゃんの話は、面白かった。とても、怖がってるように思えない。
「ね。怖いもの、なくなっちゃいそうでしょ?」
クリクリの目が笑ってる。
「怖いものがない女なんて、嫌がられるんだから」
私は、メキシコに行くことにする。
実は、私の最終目的地は、メキシコではなく、スペインのマラガだった。
マラガで絵の勉強をしようと、手続きを始めていた。
そんな時、メキシコから手紙が来る。
まりこさんからだ。
インターネットなんてない時代。
よく手紙なんかで、やりとりしてたと今だから思う。
「ひろみちゃん、スペイン行くの?メキシコ、寄っていかない?
私のカメラ、持ってきてほしいのよ」
まりこさんは、私より4つ上で、同級生のお姉さんだった。
3浪してまで、芸大に入ったのに、1年で、メキシコ人と結婚して、中退。
彼女が芸大の、今はなき上石神井の芸大寮にいる時、よく遊びに行った。
まりこさんとのメキシコの日々を、私は、いつか文章に書く日が来るかもしれない。
そう思っていたが、今、キーボードを叩きながら、
「まだ書けない」と思う。
なんでだろう?
プライバシーの問題とか、出せない名前があるとか。
でも、一番の理由は、私が今、あの頃の自分の感性で、生きてないからだ。
彼女は、紙一重のアーティストで、
それに振り回された私も、その頃は、アートの道を何らかの形で歩むと思ってた。
研ぎ澄まされた神経は、時には、狂気のように、
社会的には、ナンセンスで、荒唐無稽な行動を起こさせる。
そんな日々も、メキシコにいると、そのカオスの中で溶けてしまう。
あの日々を振り返るには、私は、そこから離れ過ぎてしまっていて、
その意味が多分、解読できない気がする。
一つだけ、書けることは、彼女と過ごした日々のおかげで、
確かに、怖いものが、だんだんなくなっていった。
ほぼ無一文で、 ユカタン半島までヒッチハイクして行ったり。
内戦中の中米を一人で旅行したり。
ユダヤ人の医師と一緒に、戦争中の軍部の司令官に会いに行ったり。
そこから、キューバに渡って、
この間、亡くなったフィデル・カストロに偶然会ったり。
うーん。書きながら、思った。
なんて、無謀なやつ。
何かあったら、日本で「自己責任」とか言われるパターンだわ。
22歳の時だ。
自分の歴史を辿りながら、私は、親の目で自分を見る。
うちの娘たちが、22歳の時、こんなことをしてたらと思うと、
こまるよね、ほんと、親として。
怖くて、体が、今、一瞬、硬直したよ。笑
結局、私は、スペインに行くことなく、まりこさんのいるメキシコに残る。
「征服した国より、征服された国の方が面白いよ」
彼女は、私の何かをその時点で、征服した。
そして、留まったメキシコで、私は人生最大の洗礼を受ける。