PTSDを生きる 〜「この世界の片隅で」沈黙する〜
「ずいぶん、淡々と話すんですね」
そう言われる度に思った。
「じゃあ、どういうふうに話せばいいんですか?」
*1
メキシコに亡命してきたチリ人のボーイフレンドが
デモに巻き込まれ、不当逮捕されて、行方不明になり、
自分も、別の場所で、パスポート不携帯で、留置所に送られ、
シャバに出てきたら、日本大使館で、日本に帰れと言われる。
「半強制送還」と説明することにした。
そのうち、その話を、まるでシナリオでも読むように、
「あらすじ」だけ話す。
なるべく、その時の状況を思い出さないように。
*2
心に傷を負った人たち。
空が落ちて、私は、その人たちの仲間になる。
*3
悲劇の主人公を演じるのが好きな人は多い。
でも、自分の心のキャパを超えるような、
想定外のことが突然起こると、
可哀想な自分に酔ってる余裕なんかない。
人間の精神構造は、
人類の文明の進化と同じように進化してなくて、
現代社会のスピードの速さ、変化に、
心はついていけない。
ストレスは溜まり、
経験という情報を処理する方法も能力もない内に、
人の心と体のメカニズムは、誤作動を起こし始める。
自殺も、その結果だという説に、納得した。
私が自殺しなかった、いや、出来なかった理由。
いくつかある。そのひとつが、ボブ。
ボブに出会ったのは、
川下にあった、188号線の老舗のバーだった。
*4
たった1年半のメキシコでの生活だったのに、
その事件のおかげで、
帰ってきた平和ボケな日本は、
木星くらい、遠い国になってしまった。
唯一、田舎で居場所になったのが、
岩国基地の周りにある米軍相手のバーやクラブだった。
ティーンエイジャーの頃から出入りしていたその店は、
マスターが、何十年も同じジョークを言ってるような、
時間が、ベトナム戦争あたりから止まってるとこで、
私のような若い女の子が、
ふらっと一人で入ってくることは滅多にない。
ある日、知り合った岩国基地のベトナム帰りの兵隊。
やたらデカい白人のその男は、バーのカウンターに座っていた。
北欧の苗字で、「デカイ」という意味の名前だった。
*5
俺がベトナムにいたと知ると、いろんな奴が聞くんだ。
戦場の話をしてくれ、ってね。
ボブはイリノイの田舎の出で、
素朴な雰囲気が、ベトナム帰りという物々しさを消していた。
俺は話し始める。
OK、じゃあ、あるジャングルでの戦闘の話をしよう。
突然、米軍のキャンプをベトコンが襲う。
戦闘態勢に入っていなかった俺たちは、
慌てて、身近にある武器を、片っ端から手に掴む。
敵は、四方八方から攻撃してくる。
動く人影が、ベトコンなのか仲間なのかもわからない。
あちこちで、仲間が倒れる声がする。
やばい。かなり劣勢だ。
やっと身を守れそうな物かげを見つけて、そこへ走りこむ。
身を屈めて、銃を構えた途端に、前に人影が現れる。
「ベトコンだ」
話を聞いている奴らが、息を飲む。
「Bang!」
「? 」
「 Dead」(死んだ)
そこで、俺が笑って、やっと奴らはわかるんだ。
聞くもんじゃないってな。
*6
そのボブと、彼がアメリカに帰る前に、
四国と九州を旅した。
岩国からフェリーで松山に渡り、
そこから宇和島へ出て、足摺岬へ行く。
「ここ、自殺の名所なんだよ」
と説明すると、
「こんな国でも、わざわざ死ぬ奴がいるんだな」
偶然にも、泊まった宿の前で、
崖から飛び降りた死体が上げられていた。
本当に死ぬんだ。
足摺を出て、また宇和島方面へ戻り、
フェリーで別府に渡る。
この間から、四万十に通っていて、気づいた。
ここ、あの時、ボブと乗った路線だ。
足摺から宇和島に向かう電車の中、
眠りから覚めて、ふと目をあげると、
向かいの席で、ボブが神妙な顔をしている。
外には棚田が広がっていた。
「ライスフィールド」
ボブが、窓に体を委ねて、視線を投げたまま、つぶやく。
「ベトナムに似てる」
メキシコで、英語も話せるようになってた私だが、
ボブとは、その英語で説明する必要なかった。
経験は違っても、その痛みが通じた。
話さなくても、よかった。
自分と同じ、もしくは、それ以上の重みを抱えて
生きている人たちがいる。
そして、それを短い間でも、共有できた人がいた。
生き続けることを選ぶのに、十分な理由になる。
*7
ボブを見送りに、空港内の飛行場に行く。
今は、民間の飛行場が出来て、
「岩国錦帯橋空港」になってる。
そんなのが出来る、ずっと前のこと。
軍機って、乗り心地悪いんだぜ。
ずっと後ろ向きに、それも硬い椅子に座らされて。
Good Byeと行った後、すぐに踵を返して、
ゲートに向かって歩いた。
途中、中学校の友達にばったり出会う。
向こうも気づいて、話かけてくる。
ちょっと気になってた男の子だった。
基地の中で働いている同級生は、結構いる。
「友達、送りに来た」
「兵隊か?」
「うん」
またひとつ、帰れない場所を作ってしまった。
****************
追記(蛇足になるかもですが)
沈黙することを余儀なくされた人たちの声を、
ほんの少し代弁してくれるような映画が出来た。
「この世界の片隅で」
この原作者こうの史代さんの
「夕凪の街 桜の国」の映画の中で、
「この町のひとたちは」と始まる主人公のモノローグが、
PTSDの一部を物語る。
銭湯で見かけるケロイドの痕や、なくなった体のあちこち、
そんなものについて、何一つ語らない。語れない。
私が文章にしたのは、何も、人に伝えたいということではなく、
やっぱり、自分がここから解放されたいと思うようになったから。
そして、その方法が、少し、わかってきたから。
【写真について】
*1
四万十の広井小学校で開催された新聞バッグコンクール
林真理子さんの本の新聞広告が使われたバッグ
*2
第二次世界大戦中、真珠湾攻撃の後に、日系アメリカ人が
強制収容されたマンザナーの慰霊塔でのセレモニー
毎年、マンザナーまでリレーマラソンをしている友人たちの
マラソンに、去年、参加して行った。
*3
メキシコ料理、チリレジェーノを作ってまーす。
レストランでも、よく注文するメキシコの家庭料理。
アナハイムというチリを使う。
*4
一昨年の5月に行った岩国米軍基地のフレンドシップデー
基地の入り口で、荷物検査。昔は、なかった。
*5
友達のフードトラックを手伝いに行って、
そのイベント会場で撮った写真。
多人種の街ロサンゼルスらしい、
いろんなカラーの絵が描かれていた。
*6
ラグナビーチで寿司屋をしてるミキさんと、
初めて一緒に行ったハイキングで、見つけた木の瘤。
自然の力強さに励まされる。
*7
岩国のフレンドシップデー。
以前のようなフレンドリーな雰囲気が、
当日の雨と、こんな警戒態勢でますます異様に。(^^;