基地ログ!

旅するカッパのチャノマハウス。時々開店、河童バー。

基地作家になることにしました。

「やらない」を決めた@第一日目

 一番大きな決断は、「フードビジネスをやらない」。トラックを売ることにしました。と言っても、すっぱり辞めることが出来る状態ではないので、このビジネスに関しては、人を雇いました。まだトレーニングの段階ですが、なるべく、自分ではやらない。詳しくは、また書きますが、とにかく2月まではやらない。

 そして、書くことと描くこと。実は、今週の木曜日、あるフリーペーパーに載せる記事と漫画の締め切りというのがあります。これは、半分無理やりにお願いして、スペースをいただきました。「行き詰ったら、前へピョン!」と言ってたのは、今日がお誕生日の、昔の仕事のマネージャーだったタイガーさんです。はい、その教え通り、前へピョンです。(タイガーさん、お誕生日おめでとう!)

  最後に、イメージをシンプルに固める。自分の中での方向性を整えるための言葉。

 このところ、自分の頭は、朝が一番、調子が良いことがわかって、一日3回朝になる15分睡眠というのをしています。朝5時に起きて、一通り、仕事を終えた後に、15分ほど休憩。目覚めると再び、気分は朝!今日は、その2回目の朝を迎えた頭で、FBつながりの藤井さんのポストを読む。書家の藤井さんが最近始められた「脱皮研究所」ブログというのを見ながら、「あ、これだ!」とインスピレーションをいただき、思いついたのが、基地作家。(藤井さん、ありがとうございました!)

 

 私は、基地を作る人になろう。そう、イメージできたのでした。その基地の第一号がチャノマハウス。

 「チャノマハウス」という場を作ったことで、土台が見えてきたこともあって、そのチャノマハウスとは何か?を考えた時に、それは基地だということには随分前から気づいていたのだけど、それを作ることをどう表現するかが課題でした。ソーシャルデザインラボとか何とか言いながら、「んー、違うなあ」と。基地作家という言葉が、今日の二回目の朝でやってきて、すぐに記録しておこうと、こうしてキーボードを打ってる次第です。

 私は、基地の町、山口県の岩国というところで生まれて、18歳までそこで育ちました。基地は、うちの前の漁港の堤防から見えました。海や山、川と同じように、物心ついた時からそこにあった存在です。中学生くらいから、いろんな形で出入りするようになって、基地反対する人たちがいることも知りました。政治的なことは抜きにして、私は、基地の存在自体は好きだったのです。そこは、ひとつの世界の窓だったからです。

 基地の兵隊を相手に、片言の英語を話し始め、同時に、サヨクな人たちに囲まれ、いろんな情報を得て、反戦少女時代を過ごし、それでも、基地があることは、今考えれば、自分にとっては、すごく大きなことだったと思います。

 「岩国に、(兵隊ばかりじゃなくて)もっと普通のアメリカ人がいればいいのに」と思っていた子供の私は、今、普通のアメリカ人がいっぱいいるロサンゼルスで暮らしています。

 小さい頃、一人歩きするのが好きだった私は、裏山や海岸のいろんなところを自分の基地にしてました。お気に入りのスポットを決めて、そこへ行くと、何だか安心するのです。誰に言うでもなく、自分だけで決めていた秘密スポットのいくつかも、ここ最近の岩国基地拡張に伴う大開発で、なくなってしまいましたが、新しい基地を作る術を、故郷を離れて身につけた私には、むしろ、その変化を、はじめはカルチャーショック的な衝撃を感じたものの、時代の流れとして受け入れ、そこから自分が出来ることを考えるきっかけとして、向き合おうと思えるようになりつつあります。

 チャノマハウスを作ったきっかけは、東北の震災でした。日本からの避難者を受け入れるために、友達のコンドミニアムを借りたのです。チャノマハウスは、その約一年後、Airbnbというサイトを使ってのルームレンタルを始めて、紆余曲折を得てから見つけた物件でした。

 本来、どちらかというと、放浪癖があり、移動民族系の自分にとって、宿屋をするというのは、何だか違うかもと思っていましたが、これが意外と楽しくて、なんちゃっての女将業が、結構、性に合っていたのです。自分が世界を旅するのではなく、世界が自分のところにやってくる。この楽しさは、ホストをやった人なら、誰もが経験するでしょう。 

 

 基地。 その言葉には、戦争という背景がついてくることが多いです。でも、私は、戦争するためではなく、戦争をしなくてもよい世界を作るための基地を沢山作りたいと思ってます。平和という言葉を安易に使うのは嫌いなので、あえて平和基地とは呼びません。しいて言えば、小さな戦争も受け入れられるような、日常的な平和のある基地です。日常という平和の中で、戦争を許す場と言ってもいいかもしれません。

 私が、このAirbnbとして運営しているチャノマハウスの女将が向いていたのは、決して、日本的なおもてなしが出来るからではありません。むしろ、これまで住んだメキシコとアメリカ、そして旅したいくつかの国、また関わってきたいろんな人たちとの関係を通じて、沢山失敗したり、喧嘩をしたり、そういうことを受け入れることをよしとする自分が出来ていたからだと思います。

 基地作家という言葉を、何となくむずがゆい気持ちもありながら、一旦、発信します。書くことの覚悟を、毎日、繰り返しながら、自分と向き合う。私の書くためのリハビリ。お付き合いいただけるとうれしいです。