瞑想ダンスと子泣き爺
感情は味わうためにある@恐怖の一日
今日、Facebookと、LAの日本コミュニティのローカル情報サイト「びびなび」に、9月3日の自分史セミナーの告知を出した。なかなか手がつけられなくて、のびのびになっていたのを、エイヤッ!と片付けたので、「スッキリー!」のはずが、スッキリどころか。。。
コワイ!
な、何が?
突然、襲ってきた自分の感情に戸惑う、乙女のフリするアラフィフひとり。
山口百恵が歌いだす。
怖いわ、怖いわ、こわぁいわー♪
さすが、出てくるフレーズが70年代。
セミナーやること自体がコワイのかなぁ?それとも集客出来なかったらどうしようっていうコワサなのかなぁ?と考えながら、別の仕事のやり取りをネットでする。
今日は、朝のベッドメイキング以外は、デスクワークという珍しい日。
基本、肉体労働者の私には、最近、デスクワークを、如何に健全にこなすかが課題。
じっと座っていると、「コワイ」は、まるで子泣き爺のように、背中に張り付いて離れない。
重いな、爺。
drawn by Shigeru Mizuki
何がコワイのかわからないまま、日は沈む。
今年の夏は、何故か短期のゲストが多く、ほぼフルタイムでAirbnbチャノマハウスの女将業の毎日。今日の最後のゲストがなかなか来ないので、チェックインのイストラクションだけメッセージで送って、雅代さんのダンスのクラスに行く。もちろん、子泣き爺も一緒である。
レドンドビーチまで、PCHを車で10分。
月曜日の夜、8時15分から、ハモサビーチで、雅代さんが教えるダンスクラス。今日は、雅代さんのダンス友達がインストラクター。でも、基本は一緒の踊る瞑想。とてもステキな場所で、リラックスして踊るには、最適のスタジオ。
到着すると、雅代さんが、いつもの笑顔でハグしてくれる。子泣き爺は、この時は、少し身を潜める。
まずは、横になって、静かに流れてくる音楽と一緒に、インストラクターの言葉に耳を傾けながら、自分の体の声にも、五感を澄ましてみる。ヨガもそうだけど、このインストラクターの英語を聞く練習って、とても勉強になるんだよ。耳障りのよい英語の単語と、催眠術のような言葉のセセラギ。
だんだん、気分が瞑想モードになってきたところで、
来たよ。
ほら、こいつだ。
ヒタヒタと、「怖い」が。
(この時点で、コワイは、「恐い」じゃなくて、「怖い」と判明)
気づかれないように、うつ伏せになって、子泣き爺を、レスリングのように、押さえ込む。
「おい、何で、ここにいるんだよッ!」とか、心でつぶやきながら、この「怖い」感情を観察してみる。
しばらく、黙って、観察していると、面白いことに気がついた。
ねえ、この怖いって感情、久しぶりじゃない?
そうそう、この感じ、しばらくなかったよねー?
このジワジワと来る感じ、懐かしいかもぉ~。
まるで、双子の姉妹が、心の観客席にいるみたいに、会話が続く。
双子の姉妹は、淡い色のお揃いのワンピースを着て、私の中の「怖い」を観察している。
二人の腕の中には、フレーバーの違うポテトチップスが座っていて、時々、お互いのチップの袋に手を突っ込みあっている。今日の「感情劇場」の出来上がりである。
(今度、時間のある時に、双子の姉妹、「コワイ」観察会のイラスト描こう)
子泣き爺が、その双子に気がついて、肩越しに振り返る。
双子の姉妹が、子泣き爺に、観客席から手を振っている。
「久しぶり~」みたいな感じで。
人生とは、それを感じる人間にとっては悲劇だが、
考える人間にとっては、喜劇である。
と、フランスのモラリスト、ラ・ブリュリエールが言ったそうな。
小学生の頃から愛読していた名言集にも載っていた。
こうして、感情を舞台に乗せて、観察者を作ると、人生は、かなり喜劇になる。
私の場合、その劇場に登場する人物が、アニメや漫画のキャラクターになるところがミソであるが、彼らのおかげで、人生、かなり乗り越えられてきてる。
今日は、子泣き爺なんだぁ~。
ちょっと得した気分になっちゃうわ。
いやーん、水木先生思い出しちゃう (涙)
会いたかったわ、お亡くなりになる前に、水木センセ。
心の劇場、二人だけの観客、双子の姉妹は、子泣き爺に萌えている。
名言といえば、今日のHisty通信に、確か、恐怖についての名言があったような。。。
今回、私がアドバイザー認定講座を受けるきっかけになった、自分史活用推進協議会の創設者の高橋さんがひっそり運営している「Histy」(ヒスティと読みます。音からしてひっそり感が漂う)の「Histy通信」。全く、私は利用していないのに、未だに解除せずに読んでいるのは、このメルマガのコンテンツである、今日の名言が、時々、目に留まるからである。
あった。
今日の名言に、こんなことが書いてあった。
「恐怖と勇気がどんなに近くに共存しているかは、敵に向かって突進する者が一番よく知っているであろう。」ークリスティアン・モルゲンシュテルン(詩人・著作家)
そうだ、これは挑戦する怖さなのだわ。
コワイ、放置プレイ決定。
怖がってる自分っていうのは、勇気のある証拠。
そう考えると、これまでの人生で、この「コワイ」を随分味方につけてきた。
鉄と土と川と海と、ひたすら続く道の冒険。
小学生の時、ひとりで初めて汽車(国鉄時代。電車とは誰も呼ばなかった時代)に乗って大畠あたりまで行った。(初キセル!同じ切符で、改札出ずに、行って帰ってきた!)
ドキドキ・・・ハラハラ・・・
弟と、近所のあっこちゃんを連れて、岩国まで子供だけで出る。
小学1年か2年の時。田舎の子にしては、上出来な冒険。
が、間違って錦帯橋周りに乗ってしまい、計算していた運賃よりずっと高くついた。
お姉ちゃん、バス代足りないかもしれなくて、ハラハラの巻だった。
藤仙峡へ、近所の聖子とヒロくんと登る。
この間、40年ぶりくらいに聖子に会ったら、あの日、実は捜索願いが出されていたという。うちの親は全然心配してなかったと記憶する。帰り道、にわか雨が降ってきて、基地の外人が登ってきて、叫びながら逃げた。何故、逃げる?笑
道は未知。そして無限に続く。と信じて走り出した頃。
大島まで自転車でひとりで行く。途中でパンクしたり、迷子になったらどうするんだ!と考えたかどうかは不明だが、海があるから大丈夫!と、自転車をひたすら漕いだ。
山は深い。どこまでも深い。道がない分、もっと深いを知る。
裏山の頂上近くまで登る。尾根を初めて歩く。この時は、兄ちゃんたちと一緒だったかもしれないが、多分、冒険好きは、この小さい頃の山歩きに源がある。
という、田舎の子らしい小学生の冒険時代の後、中学からは、
米軍基地に、兵隊をひっかけて入る。世界への扉。
5月5日のフレンドシップデー以外に、基地に入ろうと思うと、米軍の兵隊と仲良くなり、中に入るという手があった。後に、米軍のランクによって、ゲートでの手続きがいらないということも発覚し、兵隊を見分けることを覚える。911や最近のテロの後では、すでに通用しない手である。ちなみに、県外や市外から兵隊目当てに来る女の子たちと違い、私は、基地に入ることだけが目的だったので、自分を女の子だと思っていなかったこの時代、勘違いした兵隊に、残念な思いをさせたことも何度かあった。
が、この時代に、英語に対する壁がなくなっていったのは確かだ。ある日、よく遊んでいた兵隊二人が、私のジョークで笑っている時に言った。
「日本の女の子と一緒にいる時、つたない日本語と英語で何とか笑わせようとするのは、俺らの方なのに、ヒロミといると、俺らが笑ってる。変だ、こいつ!」と言われたことで調子に乗って、しゃべるようになった。
夜の川下(米軍基地の周辺)の酒場に出入りする。店の人と仲良くなる。どこでもドア。
ある日、中学のセーラー服で、飲み屋のカウンターに座っている自分を発見する。
傷痍兵の車椅子のおじちゃんと仲良くなる。学校の外の面白さ。
この辺でも、「コワイ」はあった。未知との遭遇は、いつも危険な匂いがする。
言葉が道を作る。
英語を話すのも、そのひとつだったかも。
黒人とか、人種の違う人たちと話すことも「コワイ」ことだった。
でも、そのコワイは、経験を通して越えるべき「コワイ」だということを、
多分、度重なるコワイ経験の中で知った。コワイを理由に避けて通ってはいけない。
その後も、イベントやったり、いろんなことをして、思い切り失敗したりもして、
過去の失敗からの「コワイ」の記憶のせいで、挑戦することが出来なくなったこともある。
今だって、まだまだ自分にブレーキかけてることがあるに違いない。
今回、この自分史セミナーをやると決めたことで、この「コワイ」感覚、
思い出せてよかった。
さて、感情劇場が妄想モードで展開する中、スタジオは
踊る瞑想の音楽は、だんだん、激しくなっていく。
いつの間にか、私は、子泣き爺を振り落とし、隠れている子泣き爺を引っ張り出し、
「コワイ」と一緒にフロアを飛び跳ねる。
ああ、コワイ。本当にコワイ。
久しぶりに会えてよかった。
これ、高野文子さんの「おともだち」からですが、このバージョンで、子泣き爺を描きたいです。